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- スリランカの魅力 街・遺跡編
見ごたえのある仏教文化遺跡群、大航海時代の要塞群など、
奥深い歴史が刻まれる、スリランカの魅力をご紹介します。
コロンボとその周辺都市
コロンボ / Colombo
スリランカ最大の都市コロンボは、古来よりローマやアラブ、中国との交易の場として栄えてきた国際都市。コロンボの中心街はフォートとペターの2つの地区に別れ、フォート地区は官庁、銀行、オフィスが集中するスリランカの経済の中心地です。高層ビル、高級ホテルが建ち並んでいます。一方のペター地区は町全体がバザール、マーケットといった活気溢れる庶民の町。コロンボには多くのコロニアル建築物や寺院などの歴史的建築物もありますが、スリランカの洗練された建築のカフェやギャラリー、ブティックホテルがあります。
ニゴンボ / Negombo
ニゴンボはコロンボの北35km余りの海岸に位置し、素朴な浜辺の町でありながら、スリランカ最大の漁業の町でもあります。早朝や夕方には水揚げの風景に出会うことができます。国内最大規模の魚市場やオランダ時代に造られた運河も有名です。 観光客の集まるエリアもあり、海岸沿いにはリゾートから安宿まであらゆるタイプのホテルが建ち並んでいます。 スリランカの空の玄関口であるコロンボ・バンダーラナーヤカ国際空港より車で約15〜20分程で着くため、多くの人はスリランカに到着した夜、あるいはスリランカでの最後の夜をニゴンボで過ごします。
ニゴンボの高級ホテル「ジェットウィング・ラグーン」はニゴンボ・ラグーンのほとりにあるスリランカを代表する建築家ジェフリー・バワが手掛けたホテルです。バワ建築の大きなコンセプト「自然と人間の共存、融合」を感じられるバワルームが人気です。 海岸沿いにはビーチに面したお手ごろなビーチホテルもたくさんあります。高級リゾートとして人気が高いのは「ジェットウィング・ブルー」。東海岸や南の海岸のリゾートに行く時間がない人には、ニゴンボでリゾート感が味わえ、目の前のメインロードにずらりとならぶたくさんの飲食街を楽しむことができるのです。
シギリヤと文化三角地帯
アヌラーダプラ / Anuradhapura
スリランカ最古の聖都といわれる町、アヌラーダプラ。今から約2400年前、パンドゥカーバヤ王により国の首都として定められ、その後に仏教や政治の中心として栄えました。その象徴が、町のあちこちに点在するダーガバ(仏塔)。遺跡巡りをするために、国内の観光客だけでなく世界中から多くの人々が訪れます。スリランカの人口の約7割を占める仏教徒のシンハラ人にとって、アヌラーダプラは聖地であり、特別な存在。スリランカを知るためには、アヌラーダプラの遺跡巡りは必須!といっても過言ではないかもしれません。
シギリヤ / Sigiriya
ジャングルの中に突如として姿を現す岩山。スリランカ随一の観光地、世界遺産シギリヤです。平坦な頂上まで岩壁が垂直に立ちはだかっているように見え、「シギリヤ・ロック」とよばれています。かつてこの岩山の頂上に、カーシャパ一世という王子が建てた王宮がありました。カーシャパ一世は王になるために父親を殺して王宮を築きました。長男であったにも関わらず、なぜ実父を殺す必要があったのか。それにはこんな理由がありました。カーシャパ一世には、腹違いの弟モッガラーナがいました。カーシャパ一世の母親は平民でしたが、弟の母親は王族出身。そのため、弟に王位継承権を奪われるのではと恐れていました。のちにカーシャパ一世は、軍隊を率いて戦いを挑んできたモッガラーナに敗れ、自ら喉を掻き切り命を絶ちました。戦いの後、モッガラーナは王宮を仏教僧に寄進して修験場としました。シギリヤ・ロックの頂上には今も王宮跡が残り、登って見学することができます。頂上からは周囲を360度見渡すことができ、遠くのダンブッラの岩山まで見えます。が、聞こえてくるのは風の音ばかり。まるで王の孤独感が伝わってくるような静寂に包まれています。
シギリヤの近くにはバワ唯一の内陸リゾートホテル「ヘリタンス・カンダラマ」があります。シギリヤ・ロックを眺めることができるインフィニティプールや、通路にありのままの自然の岩をそのまま取り入れたデザインがホテルの周りの大自然の中のロケーションと一体化しているように感じることができます。 また、ジェットウィングの「ヴィル・ウヤナ」は自然をテーマにした豪華なヴィラと空間で人気です。
ポロンナルワ / Polonnaruwa
ポロンナルワは、1017年から1255年までシンハラ王朝の首都があった場所。当時はアジア有数の仏教都市として栄えており、遠くタイやビルマからも僧たちが巡礼に訪れました。現在は小さな都市となったポロンナルワですが、旧市街の城壁内には遺跡群などが集まり、当時の栄華を伝えています。遺跡群があるのは、巨大な人工の貯水池のほとり。まるで海のように大きい貯水池は「パラークラマ・サムドラ」と呼ばれていて、今も人々の生活に欠かせないものとして利用されています。古代都市ポロンナルワは1982年に世界遺産に登録されており、スリランカ随一の考古学上の史跡として維持されています。13世紀の壁画が残る寺院や、蓮の花の形をした沐浴場の遺跡、タミル人が建てたお寺や、インド文化の影響を受けたヒンドゥー遺跡なども残り、シンハラ王朝史の治世と盛衰を物語る貴重な遺跡となっています。
ダンブッラ / Dambulla
ダンブッラはスリランカ中部マータレ県の都市。スリランカ最大の石窟寺院があります。この石窟寺院がたたずむ岩山の別名は「ランギリ」、「黄金色に輝く」という意味のため、「ダンブッラの黄金寺院」として知られています。この寺は紀元前1世紀頃、シンハラ王のワラガムバーフ王によって造られました。当時首都であったアヌラーダプラからタミル軍の侵略によって追放されたときに、一時的にこの高さ200m近い切り立った岩山の洞窟に身を隠しました。やがて、再び王座を奪還した王は自らの命を救ってくれた洞窟に感謝の意を込めて仏教寺院を創建したのが始まりでした。 石窟は1番古い第1窟から1915年に作られたものまで、第5窟まで順番に並んでいます。第1窟の「神々の王の寺」デーワ・ラージャ・ヴィハーラには寺院最大の仏像があります。その大きさは全長約14mの涅槃仏です。全身を黄金色に染められているのに足の裏だけが真っ赤なのが特徴です。
ミヒンタレー / Mihintale
スリランカの古代遺跡が集中するエリア「文化三角地帯」にミヒンタレーも含まれています。現在、仏教国と自称するだけあり多くの仏教徒がいるスリランカですが、その仏教が最初に伝えられたとされている聖地がミヒンタレーです。 紀元前247年、インドより仏教流布のためにアショーカ王の息子マヒンダがミヒンタレーを訪れていました。当時のアヌラーダプラの王デーワナンピ ヤ・ティッサは山の神デーウァが変身した鹿に導かれて、マヒンダに遭遇しました。その遭遇した場所とされているのが、遺跡群の中心にあるアムバスタレー大塔です。また、マヒンダが王と会うために待っている間、瞑想していた岩がインビテーション・ロックです。 王はマヒンダと問答の末、仏教に帰依しました。ミヒンタレーの地名はこのマヒンダにちなんで名付けられたものです。
マハー・サーヤ大塔への階段を上る麓に、ミヒンタレー考古学博物館があります。ここでは、ティッサ王とマヒンダの出会いの場面や、ここから発掘された陶磁 器、像などが展示されています。 紀元前60年頃に建てられたと言われている仏塔カンタカ・チャイッテヤは高さ12m、周囲が130mあります。動物を彫り込んだガードストーンに四方を囲まれています。 スリランカ彫刻の傑作が見られるのは、シンハ・ポクナとナーガ・ポクナです。沐浴場の跡地でライオンとコブラの美しい彫刻があります。シンハ・ポクナより上ると、僧たちの食堂跡と会議場跡があり、僧院の規則について書かれた2つの石版が残っています。丘の頂上にあるのがミヒンタレー最大の仏塔であるマハー・サーヤ大塔です。ここからは天気がよければアヌラーダプラまで見渡すことができます。塔の南側にはマヒンダの墓があります。普段は静かな稲作の村ですが、仏教伝来の日と伝えられている毎年6~7月にかけての満月のポソンポーヤの祭りには国中からに何千人もの人々が集まります。皆、頂上を目指し満月を拝みます。
トリンコマリー / Trincomalee
トリンコマリーはスリランカ北東の東海岸北部にある港湾都市です。岬により湾が形成され世界でも5番目に大きい天然港になっています。そのため諸外国の長年による支配を受けてきました。第二次世界大戦中にはイギリス海軍基地として使用されていたため、日本海軍も空爆を行っています。また1983年から2009年まで続いた政府と「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)による内戦の際に戦闘やテロの舞台となりました。そのため一般の出入りは厳しく制限されていました。しかし終戦後は観光開発が一気に加速。新しいホテルが続々とオープンし、国内外からの旅行者が押し寄せ、東海岸で最も魅力的な観光地として注目が集まっています。 スリランカ人口の約10%であるヒンドゥー教徒の聖地もあり、コネスヴァラム寺院がその象徴です。 他にもヒンドゥー教の魔王ラヴァナの剣によって彫られた温泉、カンニヤ温泉があります。タミル人やムスリムの割合が多いトリンコマリーですが仏教遺跡もあります。ヴェルガム・ラジャ・マハー・ヴィハーラです。その歴史は2000年以上と言われています。しかし11世紀頃にシンハラ王朝が衰退し、この地に住む仏教徒も南に追いやられてからは遺跡はジャングルの中に埋没してしまい忘れ去られていました。現在は破壊をまぬがれた仏像と菩提樹と寺院を見ることができます。 トリンコマリーではスノーケリングやダイビングの格好のポイントとしてもよく知られています。国立海洋公園に指定されているピジョン・アイランドでは100種類以上の珊瑚礁、ウミガメや300種類以上の熱帯魚が見られシュノーケリングやダイビングを楽しむことができます。また、4~9月にはイルカやクジラが見られる主要スポットとしても有名です。
キャンディと丘陵地帯
キャンディ / Kandy
丘陵地帯の中心にあるキャンディは、300年以上も続いたシンハラ王朝の最後の都でありました。現在では街全体が世界遺産として登録されています。周囲を山に囲まれている盆地であるため涼しく、とてもリラックスできる過ごしやすい気候です。キャンディでの1番の見どころが、国の約7割を占める仏教徒のシンボルともいえる仏歯寺です。仏陀の歯が祀られている本堂では1日に3度礼拝が行われます。スリランカ中から集まった参拝者の祈りをささげる熱気、儀式のための楽器の音、お供え物を捧げる様子が厳かな空気を感じさせます。そして、この仏歯寺に安置されている仏歯の入った仏舎利が1年に1度ゾウに乗せられ市内を練り歩く大きな祭「ペラヘラ祭」が有名です。ペラヘラ祭はエサラ月の新月から満月にいたる約2週間行われます。仏舎利を乗せたゾウを筆頭に伝統音楽を奏でる音楽隊や王朝時代に宮廷で踊られていた舞が元となるキャンディアン・ダンスのグループが続き、壮麗な行列が繰り広げられます。ひと目見ようと世界中、スリランカ中から人々が集まってきます。
ヌワラエリヤ / Nuwara Eliya
ヌワラエリヤはスリランカの中央高地の南側の標高1800ⅿほどの地域に位置しています。 この地は1846年にイギリスの探検家サミュエル・ベーカーに発見されました。年間の気温が平均して約16度と過ごしやすいため、当時スリランカを支配していたイギリスの統治者や茶園経営者たちがこぞって入植し、本国に似た街並みを築きました。入植者たちはヌワラエリヤで狐、鹿や象のハンティングに、ポロやゴルフ、クリケットを楽しみました。今も当時のその名残としてクラブ、競馬場、ゴルフ場などが残されています。 ヌワラエリヤはリトル・イングランドとも呼ばれていました。 また紅茶の産地としても有名です。ヌワラエリヤの山々は眩しい緑一色で山頂から麓まで茶樹で埋め尽くされています。整然と並ぶ光景には思わず深呼吸したくなります。いくつかの紅茶の精製工場では工場での作業工程を見学させてくれます。茶畑で茶摘みをする人々の光景、摘み取った茶の精製方法などが見られるでしょう。
スリランカの鉄道の歴史は古く、運行を開始したのは日本よりも前の1864年。イギリスの植民政府により、内陸部から紅茶・コーヒーをコロンボへ運ぶ目的で作られました。現在、スリランカの鉄道路線はコロンボからゴール・キャンディ・トリンコマリーなどの国内主要都市に放射状に伸びていますが、鉄道網が発達しているとはいえません。そんなスリランカの鉄道ですが、2011年に観光客向けのラグジュアリー列車のサービスが始まりました。ExpoRailとRajadhani Expressがそれで、車内には冷暖房やテレビなどが付いており、食事時には食事のサービスもあります。ラグジュアリーと言っても、例えばコロンボからキャンディまでは1450ルピーで、お手頃な価格と言えます。通常の列車にラグジュアリー列車が付属して運行されているので、 スピードは普通の列車と変わりませんが、スリランカの田舎の中をゆっくりと進む列車の中から見える景色は、是非体験すべき価値があると言えます。中でも、中南部高原地帯のバドゥッラという町へ向かう便では、途中に通るヌワラエリヤ付近でなだらかな丘陵の紅茶園が延々と続き、ひんやりとした空気とともに避暑の雰囲気を味わうことができ、おすすめです。人気の列車で席がなくなることもしばしばですので、お早めの予約をおすすめします。
ヌワラエリヤには、元紅茶工場を改造したホテルがあります。「ヘリタンス・ティー・ファクトリー」です。ホテルの内装にはかつて使われていた設備がそのままホテルの装飾になっていて、敷地内には自分だけの紅茶を作ることができるミニ工場もあります。他にも、かつてのスリランカの総督、イギリス領事エドワード・バーンズ卿の別荘をホテルにしたのが老舗「ザ・グランド・ホテル」。客室はコロニアル調の内装で、特にスイートは豪華な調度品や暖炉が備えられており、植民地時代の雰囲気を味わえます。ホテルの向かいには100年以上の歴史のある「ヌワラエリヤ・ゴルフ・クラブ」があります。そのほか、町には小さな邸宅風・ロッジ風のゲストハウスもたくさんあります。
ゴールとその周辺都市
ゴール / Galle
ゴールはスリランカ南西海岸の南に位置しています。決して大きくない町ですが、見逃せない観光スポットです。1番の見どころは世界遺産である要塞に囲まれた旧市街です。要塞は1589年にポルトガル人が最初に築きました。その後1640年にオランダによって拡張され、その中に町ができました。次にイギリスの支配下となりましたが、イギリスは要塞に手を加えることはなく、行政の中心として使用しました。旧市街のメインゲートを入るとまず目につくのが石造りの時計台です。正面にはセイロン銀行があります。砦沿いに歩いていけばスター要塞、アエロス要塞と続きます。砦の上に上がれば雄大なインド洋が広がっているのが見えます。このゴール半島の岬の先端にはゴールのランドマークの、高さ18mの真っ白い灯台があります。灯台の下には小さなビーチがあり、地元の海水浴客で賑わいます。ゴールはほかの町より教会やモスクがよく目につき、仏教的空間が少ないです。お洒落なカフェやレストランに雑貨屋さん、お土産屋さんも町に軒を連ねています。ゴール半島を囲む砦の中の旧市街の北側に広がる新市街には鉄道やバスなどの交通機関のターミナルがあります。そして銀行、郵便局や警察署も並んでいます。野菜や果物等の食料品が買えるマーケットや宝くじの屋台にネットカフェなどがあり、なにかと便利なエリアであり、庶民のパワーに溢れています。
他ゴールの旧市街、その付近にはゲストタウスからラグジュアリーホテルまで沢山あります。ゴールらしいコロニアル建築のホテル、「ザ・フォート・プリンターズ」やバワの愛弟子チャンナ・デスワテによるデザインの「ゴール・フォート・ホテル」、特に有名な築300年を超える「アマンガラホテル」は優雅な雰囲気を味わえるでしょう。 また、ここにもバワ建築のホテル、「ジェットウィング・ライトハウスホテル」があります。ホテルの外壁にはゴールの街並みを象徴する明るいサマラカラーが取り入れられて、見事に周りの環境と調和しています。プールからはインド洋を眺めることができバワが手掛けた傑作リゾートとも言われています。
ミリッサ / Mirissa
ミリッサはスリランカの島の中でも最南部、南部州マータラ県に位置する町。近隣のゴールやマータラなどと比べると小さい町ですが、人が少ない美しいビーチがあること、そしてスリランカ一のホエールウォッチングの拠点として有名です。ミリッサ港は多くのホエールウォッチング用のボートが拠点としており、シーズン中には観光客で賑わいます。このミリッサと少東にあるドンドラ岬の沖は、世界最大の動物であるシロナガスクジラが集まります。シロナガスクジラの他にも、マッコウクジラや、イルカも含め他のクジラ目の動物も見られます。シロナガスクジラは年中を通してこの海域にいますが、12月から4月がピークシーズンと言われています。南西モンスーンの影響を大きく受ける6月や7月は海が大きく荒れるため、ホエールウォッチングには適していません。ヒッカドゥワなどの南西海岸のビーチに比べ人が少なく、静かなビーチ滞在をしたい人にもお勧めの場所です。
小さな入り江に波が打ち寄せるビーチそばのホテル「パラダイス・ビーチクラブ」はシンプルかつお手ごろなビーチホテルとしておすすめです。ホエール・ウォッチングの拠点となる港まで歩いていくこともできます。また、ホエールウォッチングが目的の方には設備がととのった新しいホテル「マンダラ・リゾート」もおすすめです。
ヒッカドゥワ / Hikkaduwa
スリランカの南西海岸のゴール県の都市ヒッカドゥワは、バックパッカーに人気のリゾート地。ダイビング、サーフィンをはじめとするマリンスポーツを体験することができます。南西海岸の中でも、ここでは沖合いに珊瑚礁があるためにリゾート地として発展してきたとも言われています。 珊瑚礁の海を眺められるよう、海沿いにはたくさんのホテルが立ち並びます。 スノーケリングやグラスボトムボートでヒッカドゥワの海を楽しむことも人気です。また、満月のヒッカドゥワ付近の海辺ではウミガメの産卵が見られることでも知られています。 ヒッカドゥワから南に進むと、ワァーラワ地区です。ここはかつてあったヒッピー文化の名残があり、ゲストハウス、レストラン、バー、おみやげ屋がぎっしりと並んでスリランカでも一番の「ヒッピー街」の様相になっています。さらに南のナーリガマ地区の浜辺はサーフィンのメッカとして知られ、サーフボードを抱えて海へ飛びこんで行く若者たちの姿が見られます。